風評を被った農場主たちの思いを胸に 福島にしかないブランド牛を育て上げる

有限会社エム牧場

【福島県二本松市】

風評を被った農場主たちの思いを胸に
福島にしかないブランド牛を育て上げる

企業情報

  • 企業名 有限会社エム牧場
  • ヨミガナ ユウゲンガイシャエムボクジョウ
  • 業種 農業
  • 代表者 吉田和氏[代表取締役]
  • 所在地 福島県二本松市初森字八斗田66
  • TEL 0243-57-2811
  • WEB https://www.m-bokujo.co.jp/
  • 創業年 1995年
  • 資本金 300万円
  • 従業員数 17人
  • 売上高 10億2,063万円

企業概要

1995年創業。被災後廃業の危機に陥るが福島県内外の農場を譲り受け、現在は13カ所でおよそ2,500頭の牛を飼う。2020年には全国でも希少な「短黒牛」を独自に飼育し、自社で精肉の加工・販売を開始。現在は生体熟成牛の加工・販売を行っている。

原子力発電所の事故で多くの農場が被害を受けることに

詩人・高村光太郎の代表作「智恵子抄」にも登場する福島県二本松市。県内で会津若松市と並ぶ城下町であり、その名残をとどめる町並みを挟んで西に安達太良山がそびえ、東には阿武隈川が流れている。町の中心部から東へ山道を登っていくと、白地に緑色の文字で「エム牧場」と書かれた看板と共に、大きな牛舎が見えてくる。

「こんな山間にこれだけの牛舎があるなんて想像つかなかったでしょう」と出迎えてくれたのは、有限会社エム牧場の代表取締役である吉田和氏だ。

代表取締役の吉田和氏 代表取締役の吉田和氏

エム牧場は1995年に二本松市で創業。和牛の繁殖、肥育から精肉の販売までの一貫経営で幅広く手がけている。2023年には福島県内9カ所をはじめ、岩手県3カ所、宮城県1カ所の計13カ所で2,500頭近くの牛を飼育するまでに規模を拡大した。

「私が社長になったのは東日本大震災が発生した2011年。被災から間もない大変なタイミングで社長になってしまったなと、後悔の念が頭をよぎりました」と吉田氏は振り返る。

広大な敷地内に牛舎が並んでいる 広大な敷地内に牛舎が並んでいる

被災当時、福島県内で4カ所の農場を管理していた。二本松市の農場は一時的に餌が届かない状態になったこと以外は大きな損害はなかったものの、東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射性物質の拡散の影響を受けた相馬市、葛尾村、浪江町の3カ所の農場は大打撃を被ったという。吉田氏は、「とにかくパニックで、どうしたらいいのか分からなかったです」と当時を思い出しながら語る。

被災で廃業しかけた牛飼いが罪のない牛たちを救う農場主となる

「実家も農家で牛飼いをしています。だから私も何千頭も牛を飼いたいという気持ちで働いていました。こんなことで夢を諦めたくなかったし、牛を救いたかった」と吉田氏。放射能の風評で「福島の牛は危険だからいらない」と心ない言葉を浴びせられ、市場ではただに等しい額で取引されるようになり、収入を失った農場主の多くは廃業せざるを得なくなっていく。

エム牧場で飼育される短黒牛 エム牧場で飼育される短黒牛

吉田氏は廃業を選ぶ福島県の農場主たちに農場を譲ってほしいと駆け回った。さらに、「宮城県丸森町の農場や岩手県金ケ崎町の農場から、引き取ってほしいという依頼もありました。風評が東北各地の牛にまで広がっていたんです」。吉田氏は、風評を被った農場主たちの無念を胸に、農場の数を増やしていった。

県内外に農場が増えたことで社員の数も増えていった。現在は17人で、平均年齢は30歳ほど。「被災直後からいた社員は今では会社の中心的立場。これまでよく付いてきてくれたなと思います。その気持ちに報いるためにも牛飼いという仕事に誇りを持てるように、会社を大きくしないと、と考えるようになりました」。

「福島にしかないブランド牛」で価値と信頼を取り戻す

その誇りにつながるものとしてひらめいたのが、「福島にしかないブランド牛」の開発。岩手県の短角牛と黒毛和牛を掛け合わせた「短黒牛」に狙いを定めた。短黒牛は全国でも生産数が極めて少なく、和牛全体でも0.01%にも満たない、いわば「幻の牛」。吉田氏は「柔らかい肉質の国産黒毛和牛と赤身のうまみの強い短角牛を掛け合わせた『短黒牛』は唯一無二の肉ですね」と胸を張る。

霜降りと赤身のバランスが絶妙で、牛肉本来のおいしさが堪能できる 霜降りと赤身のバランスが絶妙で、牛肉本来のおいしさが堪能できる

2015年に短黒牛の飼育を始めると、社員からは「岩手県まで短角牛を仕入れに行って、何を始める気だろう」と思われていたという。それからおよそ5年の歳月をかけて誕生させた牛を「短黒牛」として商品化した。吉田氏は「一部の人からは『何を始めるか分からないけどがんばって』と冷やかされたりもしましたが、今となってはいろいろな方面から取り上げてもらって、うれしい限り」と頬を緩める。

短黒牛の評判は、地元の料理人の口コミから瞬く間に広がり、ついには関東の大手百貨店からも取引の交渉を受けるまでに。しかし、希少価値を高めるため、また地域の発展・振興のためにあくまで地元の1軒の精肉店にしか卸していないという。吉田氏は「風評で福島の牛たちは価値と信頼を失いました。この短黒牛で、なくしたものを取り戻したい」と願う。

現在、エム牧場では押しも押されもせぬブランドになりつつある「短黒牛」の他に、生体熟成牛の生産にも取り組んでいる。生体熟成牛とは経産牛を再肥育した牛のことを指す。一般的に経産牛は脂身が少なく肉が痩せているため、食用に向いておらず処分されることも多い。それをメーカーと共同で開発した独自の飼料と飼育方法で再肥育しているのだ。「フランスなどヨーロッパでは経産牛も人気があります。処分されるよりおいしく食べてもらった方がロスも少なくなりますよね」と、フードロス対策にも直結することも行っている。

2023年に入り、エム牧場は新たに「移動する自動販売機」での販売に取り組んでいる。軽トラックと冷凍の自動販売機を一体化させ、二本松市の各所を移動しながら牛肉を販売する。人件費や設備費を節約しつつ、お手頃な値段で高品質な牛肉が提供できるという。

畜産の未来を担う若手牛飼いたちに惜しみなくノウハウを伝承

今、吉田氏が危惧しているのは牛飼いの後継者と若手就農者がいないことだ。吉田氏は「どこでうわさを聞き付けてきたのか、『研修させてほしい』という問い合わせが全国からあります。多いのは自分の息子・娘を預かってほしいというもの。すぐに受け入れますよ」と笑う。本気で牛飼いを生業にしたいと思う若者には、自分の培った技術や知識を惜しみなく教えていくという吉田氏。「どんな理由であれ、就農してくれる若者は日本の宝ですから」。

近い将来、エム牧場で多くのことを学んだ若手牛飼いたちが全国で名をはせる。いずれそんな日が来るだろう。

課題

・被災により県内4カ所のうち3カ所の牛を失い、廃業の危機に。

・放射能の風評により牛の市場価格が下落。価値を取り戻すことが必要に。

・新しい農場主、後継者、若手就農者の育成が必要。

解決策

・同じように廃業の危機にあった県内外の農場を譲り受ける。

・5年かけ、岩手県の短角牛と黒毛和牛を掛け合わせた牛を育てて、「短黒牛」としてブランド化。

・若手後継者、就農者を受け入れ、独自の経営ノウハウを伝承し育成を始める。

効果

・農場は県内外合わせて13カ所となり、牛の頭数もおよそ2,500頭となる。

・関東の大手百貨店の誘いを断り、地元の1軒の精肉店でのみ取り扱うことにより希少性が上がり、注文が絶えない状態に。

・若手就農者は県内外各地の農場で、社員として就農。買い取った農場の主に就くなど就農者が増えた。

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